2008年7月8日
40歳になった。
もちろん実感などないが
twitterやFriendFeedなどですごくたくさんの方々からお祝いの言葉を頂いた。
日本を始め実際にはお会いしたことのない世界各国の方々から
思いがけずこのようにたくさんの有り難い言葉を頂き、
本当に嬉しかったです、自分でもびっくりするほど。
どうもありがとうございました!
ミニマルテクノからウェブへ
ミニマルテクノ
ウェブにのめり込んでいったのは2006年ドイツのベルリンに住んでいたとき。当時アパートの部屋では一日中ヘッドフォンを付けてキックとベース、スネアやハットの音色を探し続けていた。それはもう本当に文字通り探し続けていて、やっと気に入った音の組み合わせがみつかったら1小節のリズムだけ組んで、それをもう何時間でも聴いている。ヘッドフォンを外してはモニターの音と比較したりしながら、シンセなどウワモノの何も入っていない1小節の四つ打ちを延々と聴き続ける。もちろんイヤなことなら続くわけないが、スキなのでしょうがない。さらに突き詰めていくと、1小節に4拍入っていることさえ無駄だなあと感じ始め、結局最後に行き着くところは1拍子。ただもうこうなると曲にしようがなく、音になる。自分で聴いて「うん、好きな音が出来たな」と思うだけで、曲では全くない。そんなことを毎日毎日やっていた。
リッチー・ホーティン
ベルリンは結構雪が降る。あれもやっぱりそんな雪の降り積もる冬の夜中過ぎ。リッチー・ホーティンがライブやるっていうので地下鉄でクラブに向かう。彼はやり始めたら朝までやるだろうと思っていたので、開始時刻をとっくに過ぎてもうある程度盛り上がってるだろうなという時間帯に着いたのだが、まだ入場待ちの長蛇の列が外まで続いていて全然入れない。しばらく待って警備の兄ちゃんに頼んでみるが、もちろんまるでだめ。それでも寒い中待つ。みんな待つ。どれぐらい待ったのか忘れたがとうとう入れた。そこはビルの5階だか7階だかにあるクラブで、ぎゅうぎゅうには詰まってない。あまり詰め込むと皆が快適でなくなるので、あそこまできつく入場制限をしていたのだろう。リッチーはいつもの独特のセッティングでライブをしている。彼のセットはDJではなくてライブだ、明らかに。踊る人達の汗と熱気で暑いのは暑いが、リッチー本人もニコニコしているし雰囲気はいい。秒単位でどんどんリズムを重ね、キックを抜き、1拍だけブレイクし、繋ぎ、また構築していく。少しずつ変化するその繰り返しにどんどん引き込まれる。飽きるまえに展開する。また繰り返す。
ある瞬間
そしてあの瞬間がきた。
その夜、最高に盛り上がった瞬間。
そこに流れていたのは
8ビート
歪んだシンセや変態リズムなど何も絡まっていない純粋に抽出されたエイトビート。
バスドラとハイハットとスネアだけから成る、ドラムのリズムのみのエイトビート。
今やおそらく世界中のどこにでも遍在するあのエイトビート。
いわゆる、ドン・タド・ドン・タン、っていうあの例の誰でも知ってるエイトビート。
だれが発明したのか知らないが、かの有名なエイトビート。
あの瞬間、あるものが終わったと感じた。
あのクラブに居た人達が、最高に心地良く体を揺らしていたあの瞬間、
流れていたのはただのエイトビート。
おお、偉大なエイトビート。
ウェブへ
その時受けたエイトビートの衝撃で「テクノつくるのはもうやめだ」と即決。ただこのときの感情を言葉にするのはとてもじゃないが難しくて未だにうまく言い現せない。テクノの未来に失望したという訳ではなく、音楽はエイトビートに尽きるなどと言いたい訳でももちろんない。ただあの時、リッチーに嫉妬したというのはあるかもしれない。嫉妬なんて失礼ながらも、羨望・尊敬を通り越えてそういう感情をあの瞬間抱いてしまったのかもしれない、幸か不幸か。
そのとき手元には一台のラップトップがあるのみ。その瞬間から興味はすべてWorld Wide Webへ。キックの音色を探す代わりに、朝から晩までTechCrunchやReadWriteWebをワケも解らず読みまくる。まったくの素人なのでWeb2.0とかいきなり言われても解るわけがない。それでも毎日毎日新鮮な話題が途切れることなく提供されるこのwebという媒体に全ての興味を持って行かれ、読んでは新しい無料のスタートアップに登録し使ってみる。これは使い心地が良いががこっちは続かないな、などとやっていて、日々これの繰り返し。ベルリンでの生活は午前中にドイツ語を習いに学校へ行くだけで、幸いにも時間だけはたっぷりある。一気に省略し、帰国後、自分の出生とは何のゆかりもない諏訪に至る。
今?快適です。
(2008年7月8日 正午 諏訪市図書館にて)