suwaowa: フィルター

2008-04-01

家で常時ネットに繋がっていると常にいろんなことが気に懸かり

ついついtumblrdashboardに潜ったり

読んでいるニュースのリンクをtwitterに載せたりすることになる。

その度にまた別の情報が目に入り、今までやっていた作業が中断される。

しばらくして「あ、いかんいかん」と思い直しまた元の作業に戻る。

それは例えば切り貼りして再構成された1小節分のbreakbeatsのループを百万回繰り返しながら、

キックとスネアの絡み具合を微調節したり、コンプの効き方を試してみたりしている時の感覚に、

ちょっと似ているかと思って書いているうちに全然似てないなぁという結論に達する。


ま、いいか。


いや、よくない。


ただ思うのはtwitterにしろtumblrにしろ単に情報の交換・共有というよりも、

むしろ自己鍛錬というか修行の様な感覚で接しているように思う。

自分にとって意味があると思われる他人の思考や感覚に刺激を受けながら

脳内のニューロンを様々な方向へできるだけ伸ばし、頭の中を毎日少しずつでも拡張していく。

そしてなかなかまとまらない色々な考えを徐々に整理していく作業。

それらが百万回ループを聴いて作業している時の修行的な作業感覚に似ているのか。


何か腑に落ちない。


普段ずっとそんなことを考えて生きている訳ではなく、

今オフラインで書き始めるとなんとなくそういうことが文章になってきているというだけのことだ。

こういうこともやはりオンラインでは形にしにくい。

一つ一つの文章を140文字以内のtweetとして入力して送信し、あとでそれを並べてみることは出来る。

それで出来上がったひとまとまりの文章と今こうしてオフラインで書いている文章は、

たぶん性質が異なるのだろうと思う、どう違うのかはよく判らないけれど。


この文章だって何もblogに載せなきゃならないわけでは当然なくて、

自分の頭の中を整理したいが為に書いているだけなので、ローカルに保存しておくべきものなのかもしれない。

数年前ならノートにボールペンで書き殴って押し入れにでも放り込まれるべきものだ。


それを堂々とよくもまあ他人の目に入るようなところへ出版できるものだとも思う。

その辺の自分の感覚もここ数年で激変しているのだろう。

ただ、それが良いのか悪いのかなんてまったく判らないし、知ったこっちゃない。

興味があり、おもしろいと思えることを一生懸命やっているだけのことだ。


休憩して何か本を見てくる。
(たぶん戻ってきたらもう書く気が失せている)



戻ってきた。

なんだっけ。

百万回ループか。



いや、そのことはもういい。



頭の中を整理するにはまず何にでも書いてみることだ。

書いて、その書いたものを目で見る。

要らない部分を削ったり、また付け加えたりする。

保存して、頭から読み返してみたりする。

さて。



量は質に転化する


少し前なら「量より質」みたいなことを当然のように信じていたし

一般的な事象についての本質はそこにあるのかもしれない。

が、もの凄い速度で変化していくwebの観測に限っていえば

「質より量」あるいは「量は質に転化する」と云っていいような気がしている。

ただ、扱うことのできる情報の量は個々人で大きく差があるだろうし

またある人が欲する膨大な量の情報は、別の個人には必要とされないかもしれない。

それは当然ある。

このことは今いろいろ考えているところなので難しくてなかなか文字にできない。

それにまた「量と質」についての感覚はどんどん変化していくんじゃないかと思う。


個人個人に適した平衡点をうまく探り出すことができるかどうかは

インプットとアウトプットの間にかませるフィルターを如何にしてみつけるかに懸かっている。

快適で程良い切れ味のフィルター。