真昼の12時すぎに近所の共同温泉に入っての帰り道に
ちょっと思ったことを書こうかと思って
題名を付けたらなんだかよくわからない。
Upwardly Mobile ( via canonsnapper )
久々によく晴れてあったかいのでぼーっとチャリをこぐ。
配管工事をしているおっちゃんたちが昼休み。
もう弁当を食べ終えたようで各々自分のトラックの運転席や助手席に座っている。
一人一人が手に手に携帯にぎってカチカチやっている。
どこかにいる家族や友人にメールを送っているのかもしれないし、
インターネットやったり、ワンセグのテレビ観たりしてるのかもしれない。
が、仲間同士での会話はほぼ無いようだ。
DSCF8051 ( via grut )
その状況を眺めながら家に帰ってくると
今度は自分がさっそくパソコンの前に座って
タオルで汗をふきながらtwitterとかposterousとかの画面に向かっている、独りで、黙って。
現にいまもこうしてブログ記事を書いている。
数年前には想像も出来なかった光景。
少なくとも俺にとっては。
携帯とインターネットの普及によって我々は繋がりつつあるのだろうか?
むしろ分断されつつあるのではないだろうか。
ウェブの世界に没入すればするほど
なるほどオンラインでの知人は増える。
小さなアバターでしか顔を知ることのない無数の"知人"が。
現実に目を戻し、窓の外を見る。
知らない誰かが歩いている。
でもそのひとはそこに存在している。
カバンを手に提げて歩いている。
日傘を差して歩いている。
歴史
突然、”歴史”もないもんだがさっきからどうも頭の中で繋がってくるので。
昔から歴史が苦手である。
中学生のころからまるで興味がない。
というかキライ。
去年ぐらいに突然興味が沸いて、本を読みながら
" War / History "
こんなのを一回だけ書いたけどそれっきり。
もうまるでどうでもいいことになっている。
徳川家康とか織田信長とかが何をやったひとなのか全く知らない。
勉強したことはあると思うけど何ひとつ頭に残っていない。
頭おかしいと思われてもぜんぜん構わないんだけど、そういう人達は存在したのだろうか?
Steps to the Tenshu ( via jpellgen )
それが俺が歴史に興味を持てない一番の理由。
真剣に。
だけど歴史が好きなひと同士が話してるのを脇で眺めていると
いたとかいなかったとかじゃないらしい。
そうではなくて、そういう視点があるのだそうだ。
つまりはそれが解らない。
オンラインの知人を謂わば歴史上の人物と同様にみなすならば
逆に
現実に目の前にいて話している人は実在する。
だが、自分の中でそこのところの感覚が逆転してる場合があり
不思議に思っているのである。
@taizoooは実在し
(ごめん、勝手に例に出した!)[さらに勝手に @taizooo → @anywhere 検証用 20100416 7:38am]
隣のおっさんは亜空間に住んでるという意味。
たぶん何云ってるか解らないと思うけど
もっと上手く云えたらいいのになと思いながら投稿。
P.S. 読み返すと自分でもよくわからん。